こんばんは、ゆうです。
今日はオフ日だったので、ランチがてらパパビートカフェに遊びに行ってきました。
パパビートのスタッフであり、イベンターでもあるコシさん主催のヒーリングイベントにお邪魔してきました。
http://koshi1008.tamaliver.jp/e412123.htmlシータヒーリングというのを受けてきたのですが、うーん、なんて言っていいのか説明しづらいな^^;
とにかく、今の私にはとても良かったです。
リーディングと言って、私の意識出来てない中身を読み取ってくれるのですが、それよりも、思っていること、どうしてそう思うのか、自分の言葉ではそれはどんな感覚か、などをゆっくり丁寧に掘り下げて下さり、自分でも忘れていたような過去の出来事を整理したり、それによって縛られていた考えをリセット出来る良い機会になったと思います。
私には2つの側面があります。
一つは科学的根拠に基づいた確証を基盤にした理性的な考え。
もう一つは音楽、絵、アート全般から受ける直感やセンスのような感覚的な考え。
長い間、私の中でこの相反する2つの側面がうまく混ざらないで混在していたような気がします。
なので、仕事と音楽はきっちり分けたい、やるからには責任ある仕事がしたい、肩書きを持っていたい、センスや直感だけで動いてはいけない、理論が成り立たないものは信用できない、何事にも意味があり根拠があるはず、など自分の中に一定のルールを決めて生きているわけです。
それも悪いことではないとは思いますが、時々物凄く疲れます。
急激にテンションが下がり、ああもう死んでしまいたいと思う日も年に数回はあります。
なぜ、そんなに鎧をつける必要があるのか?
と唐突に問われました。
今現在、意識しているわけではなかったのですが、それは私の根本にある大きな問題の蓋を開けるような問いかけでした。
私は、自分には価値がないと思っています。
自分は誰からも愛されないと思っています。
私の本質は何も無いのだと思っています。
それがいつからなのか、そう思うようになってしまった原因は何なのか、それについては割愛しますが、小学生の頃からすでにそのように感じていました。
人に必要とされていないから誰にも仲良くしてもらえないんじゃないか。
私を心の底から愛してくれる人なんて一生現れないんじゃないか。
そんな風にずっと思ってきました。
ただ唯一救いだったのは、私は孤独がそれほど苦にはならなかったことです。
むしろ一人の世界を楽しめるタイプだったので、今まで心が壊れるほど大きな問題にはならなかったのだと思います。
歌っている時はそんな一人の世界に深く入り込む絶好の機会なので、とてもリラックス出来るし、いつまでも歌っていたいと思います。
少ないながら友人もいますが、深く入り込まずに楽しい時間だけを共有したいと思っていますし、誰とも会わない時間が必要だとも思っています。
しかし、根本的に自分は無価値だと思っているから、肩書きや責任という鎧を着て自分に価値があるように見せたい。
自分が愛される筈がないと思っているから、交際相手をまるで信じることが出来ずに、相手を傷付けてしまう。
価値がない、愛されない。
それは私の思い込みで、実際には生きているだけで価値があり、何より創造主に愛されている、と思いなさいと諭されました。
本当にこれは心の在り方を180度方向転換するような、青天の霹靂のような言葉で。
しかし同時にそれを自分で変えることが出来れば、もっと楽に生きられるだろうな、と思わされました。
価値があり愛されると思えれば、肩書きや責任、妙なこだわりに縛られることがない。
鎧を着ていなくても良いのであれば、しんどくならないから、テンションが下がることもない。
そうなると、私の2つの側面、理性的な考えと感覚的な考えをきっちりと分けずに2つがうまく共存するのではないか。
もしそれが出来れば、この先もっと多くの曲を生み出すことが出来るだろうし、もっと面白い作品が出来るような気がする。
なので、ちょっと頑張って自分を肯定するように心掛けようかと思います。
それで生き方がもっと良くなるのであれば、こんなに嬉しいことはないですから。
スピリチュアルなものを100パーセント信じているわけではないのですが、こうやって誰かに話を聞いてもらって紐解いてもらうだけでも、楽になるものがあります。
心が疲れているなら、一緒に沢山お話しましょうね。
それが必要な人が絶対にいますから。
…てなわけで、メンタルヘルス的なお話でした。
で、今日はその後パパビートカフェにいらしていた方に腸セラピーのお話を聞かれたので、どんなものかの説明と、何人かにちょこっとだけ施術させていただきました。
喜んでいただけたようで何より(*^^*)
私も手技療法の必要性を広めたいので、そのための一歩を踏み出そうかな。
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